北九州 小倉 九州の日本橋でした
皆さんこんにちは! 寒い日が続いてますがお元気でしょうか(^^)
ご無沙汰してるうちにクリスマス、そして大みそかも目前ですね、あー忙しい(^^;)
モモ:なーmomiji、先週は寒くって西日本でも雪が積もったんだよねー。
momiji:おおそうじゃ、実は大雪でひどい目に遭ったんじゃよ。
特に山間部は積雪が多かったんじゃが・・・
おかげで中国地方の電車や高速道路が、運休やら通行止めで大変だったんじゃ。
語り手:というわけで恐らく今年最後の記事になるであろう今回は、北九州へのちょっと変わった旅ですよ(^^)
いつも広島から九州へは新幹線で行くのですが、今回は時間があったのとお金がなかったので(^^;)、高速バスに生まれて初めて乗ることにしましたよ。
朝7:30に広島を出発し、一路山陽道を西進し関門海峡を渡ります。
関門大橋から巌流島を撮ろうとしましたが、太いパイプにほとんど隠れちゃいました(^^;)
九州道の沿線はまだ紅葉が残っていますよね。
九州道を(赤線方向に)南下して、小倉南インターでバスを下車(赤丸)するんです。10:30くらいでしたね。
ずいぶんのどかなバス亭で下ろされたんですが、北九州市内行きのバス亭(オレンジ丸)まで歩くんです(^^;)
写真左のふたコブ山の下に見える白い建物までですね(^^;)
階段を下りてって、田んぼの中を5~6分歩き・・・
やっと西鉄バスの中谷営業所が見えてきました(^^;)
でもね、嬉しかったのは女性社員さんがとっても親切に、道案内や観光案内までしてくれたことなんですよ(^^)
11時10分ころの西鉄バスで(オレンジ線に沿って)北九州市内に北上したんですよ。
目的は小倉駅の北方向、(緑丸の)国際会議場なんですけど・・・
そうです、まだ時間があるしせっかく小倉に来たので(桃丸で)観光することにしたんですよね(^^)
この長い建物は、これですね「松本清張」記念館。
社会派推理小説で有名な松本清張は、現在の小倉北区の生まれなんですね。
芥川賞を受賞した「或る『小倉日記』伝」や「点と線」、「ゼロの焦点」、「わるいやつら」や絶筆となった「神々の乱心」まで膨大な作品を残しています。その作品数は司馬遼太郎や吉川英治に並びます。
ここで驚いたのは、東京杉並区高井戸の自宅を移築した書斎や書庫であり、その蔵書は3万冊に及ぶことです!
さて時間も限られているので、すぐ隣の勝山公園に向かいます。
旧第12師団司令部の正門を過ぎると・・・
コスプレ写真コンテストでしょうか、やってるんですね(^^)
「風欄」っていうんでしょうか、いやいや「レオン」てヤツでしょうね(^^;)
勝山公園の北東端に見えてきたのが小倉城ですね。
白くてなかなか立派なお城ですね。珍しい「唐造り」だそうですが・・・
4階と5階の境目(破風)がなくて、5階の方が広がっているようです。
小倉城は丹後の国、宮津城から入国した「細川忠興」が初代小倉藩主として1602年に築城したものです。
父はソニックマイヅルさんで有名な「細川幽斎」(^^)です。
妻は有名な「細川ガラシャ(玉子)」で、「明智光秀」の娘です。大変な美人でキリスト信者でしたが、「石田三成」の人質を嫌い自害、爆死した悲劇の人でもあります。
往時の小倉城下のにぎわいを和紙のジオラマで表現してるんですね。
1500体もの表情ある人形が圧巻です(^^)
ここの有名なものとして5m近い虎の絵があるんですよね!
これは雄の「迎えの虎」、すごく迫力があります(^^;)
そしてこちらは雌の「送りの虎」ですよ。
こんな躍動感ある大きな絵は他にないそうです。
小倉城が消失した1866年の寅年にちなんで製作されたそうです。
他にも大名駕籠、からくりシアターなど見どころがたくさんありましたが、ワタクシが感心したのは「椅子式階段昇降機」ですね(^^) お年寄りや障害の方には嬉しいサービスではありませんか。こんなお城ってないですよね(^^)
お陰で上階からの景色を眺めることができるでしょう。
すぐそばには「リバーウオーク北九州」の大型複合商業施設もあるんです。
それならばとそそくさと向かったのは「紫川」沿いの橋めぐりです。
お昼なので何かつまんで行くものないかな・・・
あったー! ワタクシの大好きな「梅ヶ枝餅」だー!
焼き立ての暖かいのをほおばりながら川下に進んで行くと・・・
見えてきました目的の橋ですね(^^)
これは「常盤橋」といって珍しい木造の橋なんですよ。
木造と言えば錦帯橋が有名ですが、ここはもっと素朴な味のあるものです。
小倉の中でも、常盤橋を起点として唐津街道、長崎街道、中津街道が伸び、本州や瀬戸内海交通のかなめだったのですね。言わば「九州の日本橋」という言葉が思いつきました(^^)
この界隈は江戸時代、参勤交代の本陣や旅人の旅籠が集中し、長崎出島からの外国文化も浪速や江戸へ運ばれ、たいそう賑わったのですね。
紫川には鴎外橋、石の橋、火の橋、海の橋など、味のある橋が並んでいるのですよ。
さて出発から5時間半(^^;)、13時を過ぎもう時間がありませんので、セミナー会場へ急ぎます。
国際会議場では「メディカルフィットネス」という高齢者の介護・認知症予防のセミナーが行われました。
介護状態になる原因は、脳血管や認知症もありますが、運動器(筋肉)の低下が多いのですね。
また認知症の予防にも食事や運動、社会的交流や知的活動が重要らしいです。
皆さんは果たしていかがでしょうか(^^;)
というわけで、しっかりお勉強したあとは、北九州の友人たちと鍛冶町あたりにハシゴしたのは言うまでもありません(^^;)
モモ:へーえ、今回は新幹線なら45分で行ける小倉に、高速バスと市バスで5時間もかけたお話なのかー。
momiji:イヤイヤそうじゃあなかろうよ、高齢社会を見つめたお勉強の話が珍しいじゃろうよ。
語り手:というわけで、毎度意見の一致しない二人なのでしたー(^^;)
相変わらずコタツで丸くなるモモですが、皆さん来年は良いお年をお迎え下さいね(^^)
広島 安芸の宮島 あきないもみじ
皆さん、こんにちは! 小春日和って言っていいんでしょうかね、少し暖かいです(^^)
でも12月初頭は広島でも雪がちらつきましたから、これから油断禁物ですね(^^;)
モモ:なーmomiji、今回は地元の宮島の記事なんだよねー。
momiji:おおそうじゃ、やっぱりこの季節は日本三景「安芸の宮島」の、秋の紅葉は最高じゃからな。
語り手:というわけで11月下旬に宮島にもみじ狩りに出かけてきましたよー。
犬は庭かけ回らずコタツで丸くなっておりますが・・・(^^;)
世界遺産でもある宮島は、広島市内からは車で約30分、電車や船の便もたくさんありますよ。
いったん赤丸の宮島口まで行き、そこからフェリーなどで緑丸の宮島港に渡ります。
フェリーなら約10分で海上の朱色の鳥居が迎えてくれます。
休日はとても込み合いますので、平日を狙って行ってみましたよ(^^)
愛嬌のある鹿さんたちがたくさん出迎えてくれるんですね、ホッとする瞬間です(^^)
宮島の見どころはとてもたくさんあるのですが・・・
今回は厳島神社までの参道の、お店をまずはご紹介しますね(^^)
瀬戸内海の海産物と言えば牡蠣やアナゴ、鯛やタコが有名なんですけどね。
牡蠣丼にアナゴ飯や鯛飯のお店もたくさんありますよ。
牡蠣だけをしっかり味わうなら、こんな「牡蠣のどて焼き」はいかがでしょうか(^^)
焼き牡蠣のお店ではTVの取材が来ていましたが、ああなるほど、左にあるのは珍しい「牡蠣グラタン」なんですね(^^)
ちくわを焼いていますが、アナゴ、鯛、ちりめんやタコちくわですね。
海産物の「にぎり天」を揚げていましたので・・・
小腹のすいたワタクシがGETしたのは、アナゴ天と牡蠣天です(^^)
参道の途中には、こーんなにでっかい「しゃもじ」が陳列されています。中学生さんと比べるとその大きさがわかりますよね(^^)
この「鹿ちゃんソフト」は実物を見たかったのですが、黒いツブはチョコチップか黒豆かわかりませんが、「鹿の子まだら」かまさか「鹿のフン」でしょうか(^^;)
神社参詣でのどが乾いたらこれですよね「厳島ジンジャー」(^^;)
「佐々木八重子の店」では、楊貴妃のような有名なこの方が今回もお店を切り盛りされていました(^^)
参道を進んでいくと、撮影スポットがあるんですね。
宮島の大鳥居は海上に自重だけで自立しているんですよ(^^)
海上から船で鳥居をくぐって参詣される方達もおられます。
はい、ここが海上に浮かぶ厳島神社の本殿ですね。平清盛のころの神社建築は寝殿造りです。戦乱の変遷の時代には大内氏ー毛利氏ー豊臣氏の庇護を受けることになったのですね。
さてそれでは、紅葉谷公園を目指してみましょうか(^^)
早速見えてきたのは、もみじに映える五十の塔ですね。
紅葉に負けない朱色は、ソテツのグリーンとコントラストを競っています(^^)
いよいよここが紅葉谷公園の入り口です。
紅葉がやたらめったら赤いではあーりませんか(^^;)
橋の下がまたいいんですよね。
清水の水面に映る紅葉がまた美しいんです!
紅葉谷公園にはイロハカエデ、オオモミジ、ウリハダカエデ、ヤマモミジなど色んな種類があり、また個体によって色もさまざまなんですね。
赤や黄色は一般的ですが、ダイダイというか肌色に近い種もあります。
それはそれでとっても趣があるのですが・・・
でもやっぱり真っ赤な紅葉に心惹かれてしまいますね(^^;)
絵にしたくなる感動や気持ちもわかりますよね(^^)
ボクちゃんだって、本当の紅葉狩りをしたくなっちゃうんですもの(^^)
紅葉谷公園には約700本もの木があります。天を覆い尽くすっていう壮観さですね!
上空だけじゃなくて、池の中にも「モミジ魚?」はいたんですね。
散策しながら紅葉をめでるのもいいのですが・・・
茶席で食事やお茶を楽しみながらというのもまたいいのです。疲れますしね(^^;)
毎年来てもアキナイ紅葉、さて少し引き返してあるスポットに行ってみることにしました(^^)
それがここなんですよね。ワタクシが宮島で一番気に入ってる絶景ポイントです(^^)
「塔の岡」茶屋の近くなんですよ。
ついでにこの岡下にあるもうひとつお気に入りをご紹介しましょうか(^^;)
名物の「もみじまんじゅう」はみなさんも食べたことありますよね(^^)
焼き立てが美味しいんです。
最近はころもを付けて揚げた「揚げもみじ」もあるんですね。
つぶあんのおまんじゅうも美味しいのですが・・・
ワタクシがお勧めしてみたいのは・・・
焼き立てホカホカ、「皮むきさらしあん」のもみじまんじゅうなんですね(^^)
甘いあんがとっても細やかで舌触りがなめらか、食後に皮などが残りません。
製造元の「坂本菓子舗」さんでは、北海道産のあずきを蒸して、一粒づつ皮をむいてるんですって(^^;) アキナイとは言え心にまで美味しさが沁みますよね(^^)
モモ:へーえ、宮島は海産物も、紅葉も、おまんじゅうも全部美味しそうだったよねー。
でも2000円以上のアナゴ飯や牡蠣飯にはダルマさん(手が出ない)だよねー。
momiji:そうじゃろ、地元の皆さんが懸命に文化を守っておられるからなんじゃな。
でもお前さん手が出ないんじゃなかろうよ。
語り手:寒いので、やっぱりあったかいコタツやお布団で丸くなるモモなのでした(^^;)
今回もご無沙汰のうえ、長文・乱筆失礼致しましたー(^^;)
奈良 法隆寺 きんぎょにあった
皆さんこんにちは、まいどまいど恒例のご無沙汰です(^^;)
秋はめっきり深まり、「秋冷」のあいさつ文が似合う季節になって来ましたね(^^)
モモ:皆さんはどんな秋をお迎えでしょうかねー。
momiji:そりゃあやっぱり季節がら、紅葉の秋じゃろうて。
モモ:そうだよねー、いつもの散歩道のツタにまで、確かに秋は来てたよねー。
momiji:そういうお前さんは、「食欲の秋」じゃないんかいのう、ご飯粒を鼻につけたりしおって・・・。
語り手:というわけで、今回は長年の念願がかなって奈良・大和路の旅ですよー(^^)
かあしゃんさんや奈良在住の皆さん、大変お待たせ致しましたー(^^;)
今回旅したのは、赤四角の「奈良駅」からもほど近い、オレンジ四角の「大和郡山」にあるオレンジ丸の「金魚資料館」、それにすぐキンギョにある茶丸は斑鳩町の名高い「法隆寺」ですよ(^^)
10月の下旬にJR郡山駅前のホテルに宿泊したんですよね。
結婚式場も兼ねたオッサレーなホテルでしたよ(^^)
ここのフロントにもありましたね、地元特産の金魚のお土産の数々。カワイイので思わず買っちゃいましたー(^^)
大和郡山市って奈良県の北部にあって、人口は9万人ほどののどかな町なんですがね。
水利や溜池に恵まれた特産が金魚ということで有名なんですね(^^)
街中のあちこちにある溜池・・・
よーく見ると金魚の稚魚の養殖池なんですね(^^)
私もムカーシ金魚を飼ってたこともあり、次の所に行ってきましたよ!
それは「郡山金魚資料館」なんですね(^^)
しかし車でここまでたどり着くのは大変でした、田んぼのあぜ道くらいの路地しかないんですから(^^;)
公営のさぞかし整備された施設かと思いきや・・・、実に質素な佇まいの民営でした(^^;)
しかし先代の方の篤い思いで、金魚の館や資料館などを整備され、無料で開放しておられるんですよね。
資料館には珍しいもの、貴重なものがたくさん展示されていました。
金魚をモチーフにしたオブジェや玩具・・・
工芸品や民芸品などですね。
全国各地の年代物もたくさん展示されています。
江戸期の錦絵もありますし・・・
「滝沢馬琴」の「「風俗金魚伝」など貴重な書物もあります。
金魚の館には金魚の父と呼ばれる農学博士「松井佳一」の銅像もありました。
それを取り囲むように30ほどの水槽に、珍しい金魚たちが飼育されていたんですね(^^)
和金やキャリコ、丹頂など一般どころはもちろんですが、オランダシシガシラや・・・
東錦(アズマニシキ)なんていう配合種(オランダシシガシラと三色出目金)・・・
青文魚(セイブンギョ)や茶金(チャキン)などめったに見られない種も保存されています。
花房(ハナフサ)は鼻孔が盛り上がってて背びれが無いのが特徴です。
さらにジャンボオランダや・・・
ランチュウは金魚の王様って言われるそうです。
ガラスにしかめっ面で映ってるのはエツランチュウの誰かさんが撮影中です、心霊ではありません(^^;)
ひょうきん顔なのは中国で宮廷金魚と呼ばれる頂点眼ですね(^^)
たくさんの水槽では即売もやっているんですね。
1匹3000円のお高いヤツも居れば・・・
1匹8万円の超お高いヤツまでおりまする(^^;)
大和郡山市の金魚生産シェアは40%、7千万尾が全国に出荷されているんですね。
さてさて金魚が長くなりましたが、お次はキンジョに向かってみましたよ(^^;)
かねてより是非行ってみたかったところ、それは・・・
参道には奈良漬も色んな種類の奈良漬を売っていましたし・・・
食堂での名物の梅うどん・梅そばは美味しかったですね(^^)・・・
ツヤツヤの麺に梅が練りこんであり、おっきな南高梅も入ってましたし・・・
柿の葉寿司の酸味と塩味もいい塩梅でした(^^)・・・
そここそがここ斑鳩(いかるが)町の「法隆寺」なんですよね(^^)
国宝の「南大門」を入っていきますよ。念願だったんですよね(^^)
法隆寺は「聖徳太子」の607年の創立と言われています。
正面に見えるのは「西院伽藍」の「中門」と「五重の塔」です。いずれも国宝ですね。
金堂や大講堂なども世界最古の寺院建築、木造建築といわれていますよ。
中門には金剛力士像、「阿・吽(あうん)」の像が両側におわします。
1993年に日本で初めて姫路城とともに世界文化遺産に登録されたのですね。
法隆寺には国宝や重文が目白押しです(^^)
夢殿にも似た「西円堂」や・・・
鐘楼(しゅろう)も国宝に指定されています。
おそらくこの鐘が「正岡子規」の有名な句に登場する鐘ではないかと思います。
鏡池のほとりにあるのがその句ですね(^^)
「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」
美しい五重塔もやはり国宝であり・・・
屋根幅が上ほど逓減していて、最上層は最下層の半分なのですね。
国宝「夢殿」に向かう参道では・・・
正岡子規も食べたかも知れない甘い柿が1個100円で売られていました(^^)
そばの民家の庭先にも甘柿が色づき始めていましたよ。
モモ:そっかー、金魚ってほんとかわいかったよねー。それで民家の柿も美味しかったの?
momiji:お前さん何を言っとるか、聖徳太子サンの前だけはそんなこと出来るはずないじゃろうて。
語り手:というわけで、結局は「食欲の秋」に落ち着いた二人なのでした(^^;) 毎度の長文失礼しましたー(^^;)
北陸 苔寺2寺 2児がこけてら
皆さんこんにちは、超ロングのご無沙汰で恐縮です(^^;)
朝晩は冷え込むような、そうでもないような微妙な天気ですよね、布団の掛け方が難しいですね(^^;)
モモ:なーmomiji、子供みこしも過ぎ去って、秋本番なんだよねー。
momiji:おお、そうじゃのう、白色のギンモクセイもいい香りじゃったのう。
モモ:お散歩のときにイパーイ(モッズパンツさん風)どんぐりも落ちてたんだよねー。
momiji:お前さん、どんぐりかじっておったが、味気なかったじゃろうて。
モモ:でもさあ、味気のある何かも落ちてたんよねー。
momiji:そりゃあアケビじゃろうよ。でもあの憎たらしいカラスめが中身をさらとったわい。
モモ:でもまあいいんだー、すっかり紅葉したハナミズキも綺麗だったしねー。
momiji:そうじゃのう、黄色いタンポポのような蕗の花も綺麗じゃったからのう。
語り手:というわけで、今回は晩夏に訪れた北陸の「苔寺(こけでら)」の話題ですよー(^^) 長めですけど(^^;)
赤丸は石川県小松市の「那谷寺(なたでら)」、黄色は福井県勝山市の「平泉寺(へいせんじ)」ですね。
いずれも日本三名山、三霊山の「白山(はくさん)」信仰のお寺なんですよ。
まずは那谷寺ですね。粟津温泉、山中温泉、山代温泉、片山津温泉などで有名な、加賀温泉郷にあるんですよね。
山門を入ると、なにやらしっとりした感覚に気がつきます(^^)
そうです、それがうっそうとした杉木立に映える「苔(こけ)」なんですよね(^^)
皆さんあんまり苔って興味ないかも知れませんが・・・
けっこういい味を醸し出してるんですよね(^^)
地面全体だけではなくって、木立の根元や石灯篭の屋根まで苔蒸してるんです。
そして「青苔」って言うらしいですが、その鮮やかな緑色や緑錆のような色合いが美しいんです(^^)
あたり一面が苔蒸した参道を進んでいくと、美しい「琉美園」があります。
ここで珍しい光景に驚くのですが、「奇岩遊仙境」ですね。
どうでしょうか、今時のハロウィンのお面か、一本足の傘のオバケのように見えます(^^;)
口の中の歯抜けのように見えるのは、お地蔵さんなんですね(^^)
ここは人が登れるようになってはいるのですが・・・
結構急俊で大変なんです(^^;)
女性やハイヒールはしんどそうですよ(^^;)
その分上からの眺めはいいんですがね。
この岩山を見てワタクシはピンときましたね(^^) 瀬田の石山寺によく似てるんです。
石山寺の岩は珪灰石(けいかいせき)ですが、ここは凝灰石(ぎょうかいせき)なんですね。
ただいずれも火山性岩であり、特にここは太古には噴火口だったと言われています。
我らが師匠、松尾芭蕉も「奥の細道」の中でここで句を詠んでいますね(^^)
「石山の 石より白し 秋の風」
秋の風というのは風水では白色だそうです。
岩窟を利用した「胎内くぐり」と、「十一面千手観音」を祭った、重文の本殿「大悲閣」や・・・
やはり重文の、大日如来を祭った三重の塔などもあります。
この那谷寺は717年に「泰澄(たいちょう)」の開祖になり、高野山真言宗のお寺です。
1474年には加賀一向一揆で焼き討ちに遭ってるそうです。
加賀温泉郷のおかみさんたち=Lady Kagaさんたちも、湯治客がBad Romanceにならないように、お・も・て・な・し、の心で頑張っておられます(^^;)
さてさて長くなってしまいました(^^;) お次は平泉寺白山神社ですよ。
福井県勝山市にある有名な苔寺、平泉寺も717年に「泰澄(たいちょう)」の開祖になります。
泰澄さんてスゴイですね(^^) でもなぜ天台宗だったのか(^^;)
平泉寺って言っても明治政府の神仏分離令で神社になったんですね。
ここも境内に入ると、苔むしたしっとりした雰囲気です。
この日は休日だったためか、やたら子供さん連れが多かったんですよね(^^) 石を乗っけてます。
一の鳥居を過ぎると・・・
社務所があり、その前の庭なんですが・・・
旧玄成院庭園(きゅうげんじょういんていえん)と言って、室町時代の枯山水の庭園跡があります。
物に見立てたり配置が工夫してあるらしいのですが、ワタクシにはよくわかりませんでした(^^;)
しかしよくわかったのはこれですね!
青苔っていうんでしょうか、まるで人工芝か絨毯のような苔が見事ではありませんか!
我らが師匠、松尾芭蕉の句碑もやっぱありましたね(^^)
「うらやまし 浮世の北の 山桜」
(うらやましいな、金沢に隠棲している、句空さんの境遇が)
さらに奥に進んでいくと・・・
二の鳥居を過ぎたあたりですが・・・
苔は一層濃さを増します。
そして奥にあるのは・・・
江戸末期に再建された「拝殿」ですね。
1574年に建築されましたが、やはり加賀一向一揆でここも一旦は全廃したようです。
これは本殿ですが、つっかい棒で支えられていました。
ワタクシはお賽銭を少しだけお供えして、日本の景気と庶民の(ワタクシの)暮らしが良くなるようにお祈りして来ました(^^;)
すぐ隣にあったのが「株の値上がり」でしょうか(^^;)
アベノミクスかどうか知りませんが、庶民の暮らしよろしくお願いしときます(^^;)
そんなワタクシを見て笑ってる方がおられました(^^;)
あはは、かわいそうな兄さんよNISAでもやってみな!(^^;)・・・失礼。
やはり果報は寝て待つのがいいのでしょうかね(^^;)
モモ:へーえ、苔寺2寺って味わい深かったねー。
momiji:そうじゃろうて、苔寺を維持するのも皆さんの大変な努力があってのことじゃ。
語り手:「苔寺2寺」は石段が多くて、泣き声の方を振り向くと「2児がこけてら」状態でした(^^;)
でわでわこの辺で、毎度の長文とズッコケた落ち、大変失礼しましたー(^^;)
<追伸>
ソネブロさんの「画像認証」なんてめんどくさいんですけど(^^;) 123なんですよ。
広島・西条 酒まつり 町興しなんよねー
皆さんこんにちは、超恒例のご無沙汰です(^^;)
台風が日本列島をかすめて行くのがなんとも憎たらしいですよね、ご注意下さい!
モモ:なになに、momijiー雨が止んだからお散歩行こうかって?
momiji:そうなんじゃが、そんな見返り美人じゃ、皆さんに失礼じゃろう。
モモ:ていうかお外はもうすっかり秋景色なんだよねー。
momiji:栗の実はあの憎たらしいカラスめに、全部持って行かれたんじゃなあ。
モモ:でもまあいいんよ、ハナミズキの赤い実がきれいだったしねー。
momiji:そうじゃのう、キンモクセイもいい香りじゃったなあ。
語り手:ちなみにワタクシはシンガーの「キンモクセイ」の「夢で逢えたら」も好きなんでありますが(^^;)
というわけで今回は昨年もお届けしました、広島県は西条(東広島市)の酒まつりに行ってきましたよ!
昨年は黒線の「中央通り」から赤丸の「酒ひろば」の人間ドラマを中心にお届けしました(^^;)
今回は灰色の「酒蔵通り」と黄色や緑の「蔵元」を中心にお届けしますね(^^)
今回は10月13日の2日目(最終日)に行ってきましたー。
相変わらず臨時列車も駅前も混んでたんですよね(^^;)
やはりもうこれは必需品ですかね、「ウ〇コの力」でしたかね(^^;)
「酒蔵通りを東に進むと露店が並んでて、早速あったのはこれでしたね(^^) 広島はやっぱ「焼きガキ」ですよね。
身が大きくてプリプリ、プリンセスです(^^;)
まず最初に伺った酒蔵はここですよ、「白牡丹酒造」さんです(^^)
実はここには目的があったんですよねー(^^)
創業当時の「にごり酒」が無料でふるまわれていたんですねー(^^)
最初の1杯だったので、なんかねグッときましたね(^^) 臓器に沁みるって感じでしょうか(^^;)
ところで通の皆さんご存じでした? こんな呼び名(^^)
ワタクシ、雪冷え・花冷え・涼冷え・日向燗なんて知りませんでした(^^;)
お酒の味なんですがね、「白牡丹原酒」これが美味しかったですわー(^^) ヒヤで1杯百円なんですがね。
普通14度くらいですが19度もあるんですよ! 大きな声では言えませんが、ワタクシ的には一番美味しかった(合ってた)と思います。
美味しいお酒には美味しい手作りざる豆腐ですよね。堅めでベストマッチでした(^^) これウマイ!
さてさて目的っていうのはこれじゃあなかったんですわ(^^;)
実はこれなんですね、版画家「棟方志功」の実作品を見たかったんです(^^)
淡く着色した版画も味がありますよねえ(^^)
さて次に伺ったのはメジャーな「賀茂鶴酒造」さんですね(^^)
建物が美しく、煙突とのコントラストは絵になる風景なんですよねー。
当然ここにも無料試飲コーナーがありましてね、有料コーナーの5倍くらい人だかりが出来ておりました(^^;)
ここは酒造りの工程を勉強出来るように工夫されていました。広島では酒米は「八反錦(はったんにしき)」が有名なんですが、これの「心白(しんぱく)」を60%以下に磨くと「吟醸」なんですよね。ちなみに50%以下は大吟醸です。
ご丁寧に顕微鏡で、元米と磨いた米が比較できるようにされていましたよ(^^)
蔵の奥では出し物にコンサートをやってるケースも多いです。ちなみに席は酒ケースですが(^^;)
最近はお酒だけではなく、関連製品に力を入れてるんですよね。
例えばこの「大吟醸酒粕餅」ですが、とーっても肌がすべすべだったんですよ(^^)
アイスキャンデーだってお酒が入った色んな味があるんですよね。
さてお次は一番キレイな酒蔵さん、「亀齢酒造」さんです(^^;)
ここの名物は「日本酒のソフトクリーム」みたいですね、長蛇の列が出来ていました(^^;)
日本酒は手肌がキレイになるって言いますしね(^^) キレイなおばちゃんが配っていました(^^;)
もう酒蔵通りの中心部は人でごった返して、こーんな状態なんですね(^^;)
露天のお店を覗いてみると・・・
日本酒に合いそうな鮎の塩焼きやら・・・
スルメの一夜干しやら・・・
スペアリブやら・・・
どでかいマツタケまであるんですよね(^^) ここでしばらくマツタケど口には入りませんでした(^^;)
珍しいところで言うと・・・
震災復興支援や・・・ ワタクシここで昆布を買っちゃいましたが。
処分されそうな猫さんたちを救う飼い主捜しの出展やら・・・
古道具や古着、「シービーちゃん」さんが喜びそうな雑貨の出展などもあります(^^)
さてもう1か所蔵元を回りましょうかね。
キレイつながりで言うと「福美人酒造」さんですね(^^)
どこの造り酒屋さんもそうなのですが、自前の井戸を持っています。西条の酒造りは300年~400年の歴史がありますが、賀茂大地は元々軟水なので腐造が多く、苦労されたようです。
ここではこの杜氏さんと30分も酒談議に花を咲かせてしまいました。長時間失礼しましたー(^^;)
すごくこれからの日本酒のあり方を考えていらっしゃいました。
そのひとつがこれなんですね、日本酒が入って美人になる「福美人せっけん」です(^^)
酒蔵通りにはこんな楽しみもありますよ。
我らが芭蕉師匠は、「酒のめば いとど寝られぬ 夜の雪」ですって。そのココロは「雪が美しい夜は友が欲しいが誰も来ない、酒を友に飲んでみたがますます人恋しくなった」っていう意味だそうです(^^)
種田山頭火や小林一茶の句もあるんですね。佐々木久子さんもお酒が好きですもんね(^^)
さてさて駅前本部の方へ折り返してみましょうか。
ここで1年ぶりにお会いできたのは、実行委員の井川さんでした(^^)
昨年はワタクシの記事にfacebookから感謝のコメントを寄せて頂いた方なんですよね(^^)
大忙しのところ、記念写真を撮らせて頂きました、ありがとうございましたー。こうした方たちの努力で、小さな町に数十万人も訪れるお祭りが出来あがったんですねー! 町おこしの見本のような例ではありませんか。
本会場である「酒ひろば」ですね。昨年詳しくお届けしたところです(^^)
今回はラベルだけで我慢して下さいね(^^;)
おっと、ここを忘れてはいけません。
「五千人の居酒屋」会場ですね。
ここにも人がいーっぱいでした(^^;)
呉市の大和ミュージアムから「てつぞー」君も来ていましたが、「まるたろう」さん好みの方もおられました(^^;)
さてそろそろお祭りも終わりに近づいてきましたかね。
1日飲んで歩けばお歳の方は疲れますよね(^^;)
若い方だってもちろん疲れますが・・・(^^;)
掲示されてるこれだけは気になりますよね・・・・
クライマックスシリーズの第2戦の行方です(^^;)
モモ:へーえ、酒まつりってすんごい人出のお祭りなんだねー。
momiji:そうじゃよ町興しのモデルみたいなもんじゃからのう。
語り手:広島市中心部でも、カープ芸人で大いに盛り上がった広島ではありました。
またまた超長文失礼しましたー!
京都府 天橋立 さすが日本三景なんだよねー
みなさん、こんにちは、まいど「恒例のご無沙汰」です(^^;)
やっかいな台風一過、秋晴れの晴天が続いてますが、急に冷えこんでますよね(^^;)
モモ:京都、滋賀、福井には大雨特別警報が出たんだってねー。
momiji:そうじゃったんじゃよ、前に記事にした嵐山や渡月橋は見るも無残じゃったのう。
語り手:若狭地方も台風の爪跡が残っていました。というわけで秋晴れの中、出かけてきたのは・・・
そうです京都府は丹後地方、ご存じ日本三景のひとつ「天橋立」ですね(^^)
まずは赤丸の「智恩寺」、黄丸の「小天橋(しょうてんきょう)」、緑丸は「大天橋(だいてんきょう)」、そしてラストは青丸の「天橋立ビューランド」ですね。
まずは敬意を表してお参りするのは「智恩寺」ですよね。808年の開基です。
ことわざの「三人寄れば文殊の知恵」の「文殊堂」とも呼ばれています。
これが本堂なんですが、日本三文殊とは他に「奈良 桜井市 安信文殊院」、「山形 高畠町 亀岡文殊」を言います。
この本堂に気になるものがありましたよ・・・
「板絵」か「絵馬」というんでしょうか、天井や壁上に掲示されてるものですよね。
武者図絵や加藤清正みたいなのもあったんですが・・・
ワタクシが気になった(入った)のはこの「地獄と天国」の絵図です(^^;)
上は天国のようですが、下には閻魔様がおわしますよね(^^;)
変獣やら死神のような想像力たくましい絵です。それにしても地獄の人間が虫けらみたいな扱いです(^^;)
龍やら鬼やらに苦しめられる人間を見ると、芥川の「蜘蛛の糸」を思い出しました(^^;)
愛嬌さえ感じる絵ですが、皆さん地獄に落ちないようにしましょうねー(^^;)
それともう一人気になった方が・・・
この方です。白黒子猫ちゃんですね。足をシュッと伸ばして肉球座布団の上で眠っておられました(^^)
この優しい方がお母さんのようですね。観光客慣れしてとってもなつっこい方でした(^^)
これは「山門」で近代のものですが・・・
隣にある「多宝塔」は1501年室町時代の創建で、重要文化財です。
おっさんライダーたちもお参りでしょうか、安全祈願でしょうか、天国希望でしょうか(^^;)
裏手にあるのは観光遊覧船乗り場ですよ。
高速のボートタクシーもたくさん走ってるんですねえ。さすが有名観光地です。
この輪っかはいわゆる「智恵の輪」ですね。航海を見守る石づくりの灯篭なんですね。この輪っかを3回くぐるとご利益があるそうです。頭の良くなりたい方、特にワタクシなんぞにはオススメです(^^;)
山門を出てみましょうか。
門前には名物「智恵の餅」を売る店が並んでいました。この餅は伊勢の「赤福」のような感じですが、小豆あんは表面一面にべったり塗ってあるんですよ(^^)
丹後縮緬のお店もありますね。
丹後の絹織物は特産で、西陣の技術など取り入れながら、糸に撚りを入れた「シボ」が特徴なんですね(^^)
ここが有名な「廻旋橋(かいせんきょう)」です。橋の中央直下を中心に90度回転して船を通過させるんですね。
ワタクシの影もアクセントに入れときました(^^;)
「九世戸縁起」伝説によると、イザナギ、イザナミノミコトのころ、日本は「あらうみの大神」が大暴れしていたそうです。
そこで中国は五台山の「文殊菩薩」が智恵の第一人者として招かれ、これを収めたそうです。
弟子の龍神が土を置いて島をつくり、天人が松を植えて火(日)を置いたところが天橋立だそうです。
橋を渡ると小天橋エリア、「天橋立公園」になっているんですね。
若狭湾国定公園、特別名勝、名松百選、白砂青松百選、日本の渚百選などなどです。
土産物屋の看板も懐かしい感じでした。関西では「ミル金」って今でも呼ぶんですね(^^;)
この辺りは右に「松島」の赤松を、左に当地の黒松を植えてあります。
およそ8000本もあるんですって。
「日本三景碑」もちゃんと刻まれていましたよ(^^)
先に進むと何やら青い橋が見えてきます。
ここから「大天橋(だいてんきょう)」エリアなんですね。
砂地の通路なんですね。
砂粒が大変細かくて、サラサラして心地よかったです(^^)
中間まで来ましたが、日も下がって来たので引き返しましょうか。
今度は天国から見下ろしてみましょうか(^^;)
智恩寺のちょっと近くに「飛龍観展望」はあります。
レフト側にリフトがあるんですが、モノレールものれーるんですね(^^;)
リフトは足が宙ぶらりんですが気持ちいいですよ(^^)
さあ着きました!ここが飛龍観展望所「天橋立ビューランド」です。
次が天国からの天橋立の眺めです! 三連発でお見せしましょう。
いかがでしょうかね(^^)
右が「宮津湾」、左が「阿蘇海」ですよ。アソーカイって言わないことです(^^;)
天橋立とは、丹後半島の河川から流れ込んだ砂礫が、宮津湾の沿岸流で砂嘴として堆積し、南下して阿蘇海の流れと合流して出来上がった砂州です。近年はダム等で砂が減少し、ノコギリのような砂地には堤防を築いて原型を懸命に保存しているそうです。
さらにここで有名なのは、「股のぞき」ですね(^^)
特別サービスでお見せしましょうか。
ワタクシの股間越しの写真ですよ(^^;)
頭に血が上って目が回り、幻想状態になると橋が天につながるんですって(^^;)
眺めがいいもんですから、お子ちゃまたちも望遠鏡の時間が切れるのが気が気ではありません(^^;)
よくある「かわらけ投げ」もありますね。智恵の輪をくぐらすんですね。
ちょっとした遊園地、レストハウスもありましてね。
のどが渇いたので、「丹後ウルトラマラソン」か「鉄人28号」か「サンダーバード」か「エレキング」か知りませんが・・・
定番のこれ、バニラソフトクリームを頂きました(^^)
もう晩夏ですからね、涼しくなって欲しいもんです。
お帰りはモノレールから景色を楽しんでみました。
モモ:へーえ、日本三景は宮島についで二つ目だったねー。
momiji:そうじゃのう、松島にはいつ行けるんかのう。
語り手:そんなこんなで、いつかは三景にサンケイしたい二人なのでしたー(^^;) 今回も長文ごめんなさいねー!
<おまけ>
帰りは舞鶴の海鮮市場で休憩して帰りましたよー、ソニックさん(^^;)
岐阜 関ヶ原の合戦 やっぱ平和がいいよねー
みなさんこんにちは! 恒例のご無沙汰です(^^;)
暑さがぶり返す中、キケンな台風の襲来に要注意です。
ついに大雨「特別警報」が出ましたよ!特に進路の皆さんは十二分にご注意くださいね。
それでもノブドウやら・・・
イチジクやら・・・
ザクロなんかが秋の気配を漂わせて来ていますよね(^^)
モモ:お散歩してたら網がかぶさってる排水溝があったんだよねー。
momiji:それでお前さんどうかしたんかいのう。
モモ:そこを飛び越えるのが怖いんよねえー。
momiji:お前さん11歳にもなってしょうがない、小さい子みたいじゃのう(^^;)
語り手:というわけで今日は9月15日、今から413年前の1600年、旧暦のこの日に「天下分け目の戦い」があったんですよねえ(^^)
行ってきました、滋賀県境に近い岐阜県の関ヶ原町ですね(^^)
よく通過していて関心も深いのに、なかなか行けない場所だったりします(^^;)
新幹線や東海道線、東名高速道路からも「古戦場関ヶ原」の看板は見えます。
ちょうど眼前の東海道線を貨物列車「桃太郎号」が通り過ぎました。
豊臣秀吉の死後、豊臣家家臣の内紛や権力争いが表面化した戦いだったのですね。
今はこのあたりは何もなかったかのように民家、農村風景が広がっています。
地図を確認しましょうかね。
黄色は関ヶ原盆地の中心であり、合戦の中心部でもあります。
東西に鉄道が走り、南には東名高速が通っていますね。
そして右の赤丸は「徳川家康初陣跡」、左の青丸は「石田三成陣地跡」、緑丸は最終決戦地です。
細かくて見にくいですが、赤い台形は東軍(徳川家康勢)で、青い台形は西軍(石田三成勢)です。
右黄丸は「南宮山」に陣取った「毛利秀元」と「吉川広家」です。それに左茶丸の「松尾山」に陣取った「小早川秀秋」と「大谷吉継」です。いずれも西軍ですが、彼らが命運を決めることになるのです。
まず東軍の総大将「徳川家康」が陣地を敷いたのが、赤丸のここ「桃配山」です。
「桃配山」はゲン担ぎでもあったようで、それより900年前、吉野軍を率いる「大海人皇子(おおあまのおうじ)」と近江軍がここで戦った時、ここに布陣した皇子に「不破の関」の村人が山桃を献上したそうです。
皇子が付近の山桃をすべて買い上げて兵士に配り、奮起した兵力により大勝を果たした由縁です。
なだらかな山上には陣地跡があります。
ここからは通行者や戦況が見渡せるようになっていました。
この2つの岩が、家康がテーブルとイスにしたものだと言われています。
さてそれでは西方に向かいましょう。
緑丸のここが「決戦地」です。
戦場は関ヶ原盆地全体および周辺部までおよびますが、最後の戦いがこの辺りです。
こちらが北方向です。
こちらが東方向・・・
こちらは南方向で、家康勢は左方から進軍して来ました。
こちらが西方向で、右手の山が「石田三成」陣地の「笹尾山」になります。
さてそれでは「石田三成」陣営に向かってみましょう。
なだらかな笹尾山ではありますが、木柵が設けてあります。
前衛に当たった「島左近」陣地があります。
陣地を囲むように「矢来(やらい)」とか「馬防柵(ばぼうさく)」と呼ばれる、敵や馬の侵入を防ぐ囲いが張り巡らされていました。
山道を5分ほど登っていきます。
やっと笹尾山の山頂に着きました。
ここはずいぶん見晴らしのいい場所です。
西軍の戦略的には絶好の有利な場所だったでしょうね。
9月15日午前8時、東軍の「井伊直政」が「天満山」に陣取る「宇喜多秀家」に発砲して、合戦の火ぶたが切られました。両軍とも8万人以上、合わせて17万人が戦闘に相まみえることとなりました。
地理的には四方を取り囲んで優勢だった西軍が、東側からのみ侵入してきた東軍に敗れました。わずか6~7時間の戦いだったのですね。
このトゲトゲしい戦いの勝敗を分けた大きなポイントは、「情報戦と密約と裏切り」でした(^^;)
家康はかねてより「豊臣秀吉」の死後、多くの家臣に懐柔や密約を行っており、三成は為政上家臣に恨まれる部分を持っていました。ある意味「策略の家康」対「横暴な三成」と言えるかも知れません。
戦況を決定づけたのは例の「小早川秀秋」、「「脇坂安治」、「吉川広家」らの裏切りや寝返りでした。
松尾山に陣取った西軍の「小早川秀秋」は、自陣営の「大谷吉継」に攻撃を始めます。
また南宮山で出陣を伺っていた「毛利秀元」は、自陣営の「吉川広家」に阻まれてしまいます。
人は利害や権力のはざまにあって揺れ動くのでしょうかね(^^;)
こうして午後2時半には決着がつき、石田三成、宇喜多秀家、小西行長、島津義弘らは敗走します。
その後「大坂の陣」で豊臣家を滅ぼした徳川家は、以来300年に及ぶ柿のように丸い太平の世を築くことになります。
この近くに「関ヶ原ウォーランド」があります。
戦争はどうだったのか、なぜ起こったのかを教えてくれます。
人間は誰しも平和を願っているはずですが、同時に自分の利益も願っています。
隣には「関ヶ原合戦戦没者慰霊碑」がありました。
同じ平和を願っていながら利害が衝突した時にどうするか。
武力や暴力に訴えるのか、相手の尊重や話し合いでの解決に進むのか、ここが大きな分かれ道です。
シリアも大国の利害のはざまで揺れています。
日本近隣での問題も同じことが言えるでしょう。
しかし絶対忘れてはならないこと、それは「ノーモアヒロシマ」、「ノーモア長崎」、そして「ノーモア関ヶ原」なのですね。
石田三成は出身の湖北地方へ敗走しました。
そこにはまあるい「伊吹山」、そしてのどかで平和な田園風景が広がっていました。
モモ:へーえ、戦争には正義があるのかと思ってたら、思惑や裏切りのかたまりなんだねー。
momiji:そうじゃったのう。人間はおろかなもんじゃのう。ところでお前さん、何でマックの袋を漁っとるんかのう。
語り手:お散歩そっちのけで、目先のいい匂いにほだされるモモなのでしたー(^^;)
ワタクシ達も目先の利益に翻弄されず、大事なことを忘れてはいけませんね(^^;) ちょっと考えさせられた9月15日でしたよ。長文ご免なさい、じゃあまたねー(^^)